赤木家住宅〜赤木正雄展示館

赤木家住宅〜砂防の父赤木正雄展示館 豊岡市

紹介

赤木家のある兵庫県豊岡市引野は円山川本流と出石川の合流点から本流に沿って2kmほど上流の県道の東側にある。地名の引野は「低い野」に由来するといわれ、古来、頻繁に洪水に見舞われおり、赤木正雄氏が砂防を志したのは災害の経験があったことも一つと思われる。さて、国道426号線天神橋交差点から県道を南下し、中筋小学校を少し過ぎると左手に石垣のある屋敷が見える。これが赤木家住宅である。屋敷の敷地900坪の大きな農家(旧大庄屋)で、敷地は全面2m近く土盛りしてあり、石垣と塀で整えられている。ここ引野が洪水で浸水したのは明治時代の洪水が最後で、そのときは石垣の上から一段目まで浸かったが、屋敷は浸水していないとのことである。その後現在まで伊勢湾台風でも台風23号でもこの地域は浸水していない。屋敷の中に木造船が置いてあるが、この屋敷は洪水の時は防災拠点となっており、洪水の時は他の避難所に船を使って食料等を運んだとのこと。屋敷内には井戸が別系統に2つあって、1つが濁ってももう1つが使用できたという。この赤木家住宅の一部が「赤木正雄展示館」として公開されている。なお、「赤木正雄展示館」見学は金、土曜日限定の完全予約制なので見学希望者は事前に予約する必要がある。

展示館はケース展示、パネル展示と映像展示で、赤木正雄の生涯、その業績などが展示されている。とくに映像展示では山岳砂防の本質が理解できるであろう。


なお、安倍首相夫人も当館を見学され、屋敷の方で休憩を取られたとのことでした。


赤木正雄とは〜案内パンフの文章をそのまま載せます

明治20年兵庫県豊岡市に生まれた赤木正雄は、故郷を流れる円山川の洪水氾濫を何度も経験しました。のちに第一高等学校で新渡戸稲造校長の訓示を効いて、災害をなくし人々が安心して暮らせるようにすることに自分の生涯を捧げようと決意します。

東京帝国大学農学部で砂防を学び、内務省などで土砂災害をなくすために精魂を傾け、「砂防一路」の道を歩みました。

政治家としても活躍し、日本における砂防の重要性をいち早く説いた人物として「砂防の父」と慕われています。昭和46年に砂防への偉大な功績を評価されて文化勲章が授与されました。


赤木正雄記念館は完全予約制です。観覧をご希望の方は当館までお申し込み下さい。


住所:〒668-0843  兵庫県豊岡市引野972

電話/FAX:0796−34−6517

電子メールアドレス:  sabo-am-tenjikan@lilac.plala-mail.jp



赤木家周囲の風景

敷地の南側、用水の跡で現在は水がありません。右が赤木家の屋敷

屋敷の入り口左手

登録有形文化財のプレート

景観形成重要建造物のプレート

屋敷の東側で左側が古く、右が新しい。右側の新しい石段は玄武岩で90年前に施工したとのこと。

古い部分と新しい部分の境界。新しい部分は90年前の施工でとてもに丁寧な工事である。現在でもとてもきれい。敷地全面が石段上部の高さである。

長い石垣と塀である。

石垣の拡大。手が映っているが、石垣は玄武岩でとても大きいものを使ってある。よく見ると石の縁はきれいに磨いてある。石と石は隙間なく密着している。

屋敷の北側。こちら側は石垣が高いが、これが本来の高さで、道路は長年のうちに嵩上げされたのだろう。

屋敷の北東から見ている。鬼門の方角の角が面取りしてある。

屋敷の西側の防災林。昔は円山川の堤防が県道の近くにあったため、堤防から溢れた洪水から屋敷を守る竹林である。

防災林と屋敷を南側から見ている。屋敷の西は塀ではなく、蔵や倉庫になっている。石垣はこちら側まで続いている。

赤木家の正面の門付近。

駐車場も3台分あります。拝観料も含めて無料でした。

屋敷の東側の広々とした農地。山も低く日当たり良く、土も肥えているといわれます。

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